|
再び単身プノンペンへ
11月1日から約一ヶ月の予定で、再び単身カンボジアのPhnom Penhに入った。二回目とあってか少しは自分にゆとりがあった。いろんなことがスムーズに運んだからだ。一つだけ困ったことがあったとすれば、バンコクからPhnom Penh行きの飛行機内で、出入国カードと、ビザの(カンボジアは、ビザを空港で取得できる。20US$と写真一枚で30日間)申請書を記入する必要があり、記入方法がわからないところがあったことぐらいだ。わかるところをうめて、客室乗務員におそるおそる聞くことにした。最初は、書かなくてもいいといったが、どうも納得いかなかったので、何回も{This OK?}ということを聞き、根負けしたのか、ちょっと待ってといって、他のクルーに聞いてきた。やはり僕の意見が正しく、そこは記入する必要があった。納得いかないことはよく聞くべきだと痛感した。
いつものとおり、夜8時ごろ空港につくと、Mr.Sok Visalと通訳たちが待っていた。彼とはなんか波長が合い、会うとうれしくなる。早々にホテルに入り、部屋のドアを見ると、日本の僕の住んでいる地域で言う「かべちょろ・・・トカゲの一種」に歓迎され恐る恐る部屋に入った。喜んでいいのかわからないが、今回もいろんな方(昆虫?)に大歓迎を受けた。その後Mr.Sok Visalと一緒に前回と同じ場所に食事に行き再開を祝しその日は別れた。
スケジュール調整
次の日から、UPDF(Urban Poor Development Fund)事務所でディスカッションを行った。
どういうスケジュールで約一ヶ月間を過ごすかが大きな議題で、これには2日間も費やした。学生の通訳では、中々話が進まず、また、午前中2から3時間午後2から3時間しか時間がなく、五時前になるとみんなそわそわし、五時前には話を終えて続きは明日なんていうくらいだから、なかなか前に進まない。まるで私が以前勤めていた○○市役所のことを思い出した。○○市役所も、暇な課と忙しい課(僕はここにいた。企画課で常に仕事が山ほど、それをこなして帰る日々・・残業なんてほとんどつけない)がはっきりしていて、暇なセクションは、五時前から帰る支度をし、五時の鐘がなると同時に、玄関から一斉に職員が帰り。役所付近はちょっとしたラッシュになる。カンボジアも同じで五時を超えるとラッシュが始まり、人がすごく町にあふれる。面白い国だ。しかし、朝は7時半頃からは出てきているみたいだが、基本的に勤勉かどうか疑問が残る国だと思う。
余談だが、昼食時に、Mr.Sok Visalの新築の家を見せてもらった。3階建てで非常に大きく立派なつくりだと感じた。彼は裕福な家庭だろうとも感じた。「今度来るときは、この家にホームステイするといい。」といってくれている。私もそのつもりだ。
話を四苦八苦しながらようやくスケジュールが固まってきた。日本のNGOの手束(てづか)さんと言う方を紹介され、いろいろ詳しくカンボジアの情勢を聞くことができたからだ。スケジュールは
11月4日から5日は、年に一度のPhnom Penhであるウォーターフェスティバル(4から6日まで祭日)を視察、その後
6日から南西にある港町SIHANOUKUVILLに一泊で行く
10日からBat Dambang
11日からPoipet(タイとの国境の町)
12日からBan teay(UPDFの事務所がある)
13日から Siem Reab(アンコールワットのある地域)
14日 〃
15日 Phnom Penh
残りの日付は、Phnom Penh市内でいろいろな調査にあたるということになった。
今後のプロジェクトの進行について
今回、スケジュールをつめてきたが、とにかくいろいろが遅い。しかしこの国のスタイルにある程度合わせないと誰も僕の考えに賛同してくれないと思う。すこしづつ、色んな考えをディスカッションしていくつもりだ。また、メコンエキスプレスの藤田さんと話をした。カンボジア人は基本的に怠け者で働かないで高く給料をもらいたい人種だそうだ。社員の中にも泥棒がいて信用してはいけないといったおられた。また現地の日本人もだますやつがいるので要注意とのこと。いろいろ話をしていて興味深かったのが、サトウキビのかすがPhnom Penhでいっぱい出て問題になっているということ。日本と同じで、地方は廃れていて、地方の若者はPhnom Penhにでてきている。地方を元気にしないとだめだということ。スラムの支援で仕事を作るなら、サトウキビ畑をやるということがいいのではと、教えられた。運送業は非常に難しい。ジャイカも輸送事業で失敗したと聞いた。いろいろ聞き、やっと少し見えてきた。また、調査すべきこともわかってきた。これらを踏まえてこれから問題解決ビジネスの可能性を探っていくつもりだ。後編を是非ご期待ください。
|